芸人「粗品」の実力はやはり頭ひとつ抜けている――義手のファンとのやりとに見えた、芸人としての格
- 7fuku-law
- 9月6日
- 読了時間: 3分
突然ですが、お笑い批評です。私はお笑いを見るのが好きで、よくチェックしています(ただし、ストライクゾーンはめっちゃ狭い)。昔とくらべて、お笑い芸人の地位が上がった一方で、芸人がサラリーマン化し、「無難でぬるい」芸人が増えてしまった気がします。辛口を言っているようで、実際には安全圏からしか攻めていない。いじる相手はいつも格下の芸能人ばかり――そんな光景を目にすることが多くなりました。
そうした風潮のなか、粗品の実力だけは以前から際立って見えていました。そして、ある映像を見て「やっぱり粗品は頭ひとつ抜けている」と痛感したのです。
まず映像を見てください
👉 こちらです:義手の太客のお願いを聞く粗品/単独公演『電池の切れかけた蟹』より(2024.10.29)https://www.youtube.com/watch?v=F6pgF2a_ABI
「笑いとリスペクトは両立できる」――そのことをこれほど鮮やかに示した瞬間はありません。細かい説明はあとに回しますので、ぜひ先に映像をご覧ください。見れば分かります。
(念のための評論)
観客が、義手で手を挙げている分かった瞬間、並みの芸人なら一瞬固まるはずです。ほとんどの芸人は「触れていいのか」「傷付けないか」と萎縮し、いじりにいかないかもしれない。あるいは、せいぜい無難な対応で終わりがちでしょう。
しかし、粗品は違った。瞬時に状況を理解し、笑いに昇華していきました。「義手芸やな」と軽妙にいじりつつ、「お前の手やねんから」とリスペクトを示す。このバランス感覚が圧倒的です。
さらに観客が「パチンコで左手が使えないのが悩み」と語れば、粗品はすぐに共感し、誰もが想像できる具体的な場面に落とし込んで笑いを広げていく。重くなりかねないテーマを、あっという間に軽快で笑える話題に変えてしまったのです。
そして極めつけは「義手にサインを書いてほしい」というリクエストへの対応。普通なら戸惑うところを、粗品は一切ためらわず応じ、「タトゥーみたいでええやん」と言って本人が誇らしく思えるように仕上げる。これはただのファンサービスではなく、観客に「見られているのは義手ではなくサインなんだ」と思わせる、深くて優しい配慮でした。
単独だけではない「踏み込み方」
もちろん、単独ライブというホームの空気があったことは否定できません。しかし粗品の力量は、アウェイの場でも発揮されています。先日も『アメトーーク!』で、ダチョウ倶楽部の二人――芸歴も年齢もはるか上の大先輩――に対して、愛情を持ちながらも的確にため口で突っ込んでいた。ちょっと方向性は違うけど、往年の毒蝮三太夫師匠の老人いじりを彷彿すらさせる。ここでもやはり「無難」には流されず、敬意と笑いを同時に成立させる対応を見せていました。
つまり、粗品のスタンスはライブ限定のファンサービスではない。テレビでも劇場でも一貫して「真正面から踏み込む」姿勢を貫いているのです。
まとめ
辛口を装いながら格下ばかりをいじる「安全な毒舌」とは根本的に違う。粗品は真正面からリスクを引き受け、それを最高の笑いに変えてしまう。だからこそ、彼の実力は頭ひとつ抜けていると思うのです。
👉 映像はこちら(もう一度):義手の太客のお願いを聞く粗品/単独公演『電池の切れかけた蟹』より(2024.10.29)https://www.youtube.com/watch?v=F6pgF2a_ABI


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